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心の間隙

仏教用語で、心は、

色、受、想、行、識のどれかを、
たえず意識しています。

色・・・肉体。周囲のもの。

受・・・感覚(見る、聞く、匂う、味わう、触れる)

想・・・思う。イメージ。

行・・・~したい。意欲。

識・・・記憶。

よくよく、自分のしていることを観察してみれば、
色や受に意識が向いていたり、
想、行、識に意識が向いていたりで、
常に止まっていないで、ぐるぐる廻っています。

無常です。

どこに私がいるのか?

原始仏教では、無我。
私と呼べるものは、どこにもいないと説いています。

ヒンドゥ教では、傍観者。
真我が自分を観察していると説いています。

心は、次、次に意識しますが、その間には時間があります。
心は、よくよく見れば、隙間だらけです。

心の間隙は、よくみれば透明な深い湖の様。
チベット仏教で言う、空性はこれかな。

明知はインスピレーション、
普段の自分の意識にない閃きかな。

できるだけ透明な深い湖の様な
心の間隙にとどまり、
明知をしっかりとらえる。
そのようにしていたいものです。

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