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水と生命

生命とは何か? 53 まとめ

『まとめ』

水と生命をテーマに、西洋哲学、科学、民俗学、仏教と幅広くみてきた。水は、人間いや生命の源であり、私たちの母体である地球や地球環境をも育んでいる。水が何故生まれ、生命が生まれたのかを解き明かすことはできないが、今のこの環境が奇跡的状況であり、水は、密教でいう大悲があるとしかいいようがない。水は、まさしく生命の根源であり、如来であり、如来の智恵そのもの。だとすると、60%以上水である人間は、やはり如来ということになる。私たちの中に仏・如来が存在する如来蔵思想である。

量子論では、素粒子が意識を持っているとしか思えない現象をとる(観測すると粒に観測しないと波の動きをする)や、素粒子は人間の意識を事前に察知することなど、宗教でいう大いなる意思があり、密教では仏という思想が解き明かされてきているように思う。空間は私たちを見ているのである。空間にこそ意思があり、如来がいつも法身説法している状態であり、それに気付くか気付かないかは、その人が意識できるかにかかっている。個々の人間の意識が、それぞれの世界を創造し、今を創っているのであれば、何を意識し創造するかがとても大切ということになる。まず、その事に気付かなくてはならない。人間の心の在り方が大切であり、自分の心を見る「如実知自心」が必要であり、三句の法門である「菩提心を因とし、大悲を根本とし、方便を究竟とす」これが求められている。

量子論は、今の科学の言葉ではなかなか表現できない。今までの科学とは全く違った結果を出し、180度考え方を変えなくては理解できない。量子理論は応用され、原子力、PC、携帯、半導体など身近にあるものに実用化されている。しかし、理解されにくいし分かりにくい。量子論は、ミクロの世界からマクロの世界と解き放とうしている。これも密教と同じではないかと思う。量子論は科学の世界からであり、密教は心の世界から問いかける時期がきていると感じる。

西洋文化が行き過ぎ、自然や生命というものが脅かされている今、水という身近なものを捉えなし、古代ギリシア考えていた自然哲学やアリストテレスまで、立ち返る必要性に迫られているように思う。東洋が考える自然との融合や一体、自然とともにある生活を、やはり取り戻していかなければならない。このことは、世界中でいわれているにも関わらず、実際の今の世の中が変わっていかない。あらゆる分野で、警告を発しているが、日常の私たちが変わっていない。

アニミズムを強く持ち、情緒豊かな日本人、あらゆるものを受け入れていく度量の深さを持つ、まっすぐと純粋さを求めた日本人の善いところを、思い出し、身近なところから、そして世界に発信していかなければならないと考える。このままではいけないと強く思う。

松長有慶氏が「密教と水」の論文で、「密教において、水を用いるさまざまな修法が行われるのは、水がもっている再生力、生命力が宇宙的な生命の一部であって、水そのものが、究極の存在を変えうる根源的な力を具えていると信じられてきたからである。」と述べている。水を利用し、根源的力をより具現化していけるように修行を重ね、密教の菩薩の誓いでもある救済や自利利他を実現していきたいと思う。

私は、鍼灸師とし中医学ではなく東洋医学(日本の伝統医学)を通し、腎(水)をやはり大切にし、大悲を忘れず生きていたいと思う。水の豊かな国、日本に生まれ今生きていることを、奇跡のひとつと理解し、意識が世界を創造することを理解し、水というものを頼りに、これからも生きていたいと思う。水を、自分を振り返る一つとし、仏や根源的力を感じるものとして、日常から意識し感じたことを表現し、具現化していきたい。また、自分の思いや心の状態が、すべてに繋がることをこの論文をまとめることで理解した私は、即身成仏をいままで以上に体感体得できるように、三密を大切にして成長していきたいと思う。

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