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水と生命

生命とは何か? 52 密教と水

密教と水は深い関わりがある。
松長有慶氏の「密教と水」と論文にもあるように、水の4つの性格、生育力、浄化力、清涼感、均質化力を『大日経疏』で、仏教思想として巧みに表現しているという。善無畏・一行の撰による『大日経疏』巻第1である。
『大日経』巻第1、住心品
「世尊よ、喩えば水界は一切衆生のこれによって歓楽するごとく、かくのごとく一切智智も、諸天世人の利楽をなす」…
清涼感をもって、仏智の本質を表現しようとしたものと理解してよい。
『大日経』が説く水の比喩に対し、『大日経疏』は、つぎのように敷衍して説明しいる。すなわち
「水大の高きより下きに赴いて、饒益するところ多く、よく草木を潤し、華果を生じ、またまた本性清潔にして、垢もなく濁もなく、悉くよく飢渇の衆生を満足せしめ、諸の滓穢を洗い、熱悩を蠲除し、澄深難入にして、測量すべからず、坑陥の処にいて、性みな平等なるがごとく」という記述は、水の4種の性格を具体的に叙述したものであることがわかる。
『大日経疏』はそれに続いて、これらの水の性格と、仏の知恵が同質であることを、
「如来の智水もまたまたかくのごとし。真法界より世間に流趣し、諸の等持を潤し、助道の法を生じ、大果実を成じ、群生を利益す。体に煩悩なきがゆえに清潔なり。よく諸惑を離るるがゆえに無垢なり。一相にして異にあらざるがゆえに無濁なり。およそこれを得ることあらば、思願尽し息み、清涼の定を獲て、塵労を洗除し、湛寂にして難思なり。平等の性を証するがゆえにもって喩となす」と説明している。
…前述の水の4種の性格を喩えとして、仏の知恵を明かしたものとみてよいであろう。(62)水に仏の知恵の性質があることを、松長有慶氏が論文で明確にしている。
また、水の生長力や浄化力について、『秘蔵記』を取り上げて説明している。
「一切の情・非情の類が水によって慈長することを得るを、成所作智に喩う」
また、『十住心論』巻第1に五大それぞれに執して真実とする者あり、そのうち、ある者は、水が万物を生ずるゆえに、水を真実とみなすとしている。…水が本来もつ浄化力に、如来の大悲が加わり、衆生の垢穢を洗い清めるに益々大きな威力をはっきすることになる。「水は大悲なり」という
『秘蔵記』…水と大悲との密接な関係を示唆するものといえよう。(62)
松長有慶氏が論じているように、密教はとくに水という言葉が多く出てくるように思う。灌頂でも水を使い義礼的な水や、献水としても見出すことができる。これは、インドの人の水に関する思い(浄化と再生など)という思いが、宗教における水の意義を生み、密教と深く関わってきたと考えられる。
森雅秀氏のインド密教儀礼における水の論文では、水儀礼においての四種類の水、アルガ、パードヤ、アーチャマナ、プロークシャナなど、水にも様々意味合いがあり、密教における水の関わりの深さを感じさせられる。
密教の修法で用いられる水は、単に日常生活水ではなく、水そのものに宿る不思議な力を使っており、西洋も東洋もない枠組みを超えた、人間の水に対する思いが、そこにあると考える。松長有慶氏は、次のようにも述べている
密教において、水を用いるさまざまな修法が行われるのは、水がもっている再生力、生命力が宇宙的な生命の一部であって、水そのものが、究極の存在を変えうる根源的な力を具えていると信じられてきたからである。密教における水は、究極のものであり、思想的にも修法的にもなくてならいものだということが理解できる。

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