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水と生命

生命とは何か? 15 儒教における生命観・人生観

1) 儒教における生命観・人生観

『論語・先進』の「未知生、焉知死」(未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん)
「生のことが分からないのに、どうして死のことが分かるのか」という意味で、すなわち、死の意義は生のなかにしかなく、生の価値を知ってはじめて死の意義が分かるということである。(31)
儒家には基本経典とされる、『詩経』・『書経』・『礼経』・『楽経』・『易経』・『春秋経』があり、「天命思想」というものがある。天を絶対者とし、天が人間を生み、下界を君臨し、人間の吉凶禍福をつかさどり、天下の治乱・興亡を与えるものであり、王朝の交代、飢饉、災害、天変地異、人間の生死と運命及び人の才不才にいたるまで、すべてを天が賦与するものと考えるものである。この「天命思想」は、中国人の思想が入り込み、諺にも「天」や「運命」、「福禍」に関するものが数多くある。
各人头上一个天(一人一人の頭上にそれぞれ一つの天)
三分人事 七分天(三分の能力、七分の運)
听天由命(天に運命を任せる)
为事在人 成事在天(物事は人が為すものであり、しかしそれが成功するかどうかは天によって決定されるものだ)(31)
「天命」とは、神秘的な存在としての「天」が、万物を主宰するために万物に命じた絶対的な命令としての「命」である。中国人は天命を尊んできた。天を畏敬するがゆえに、天より与えられたと思われる運命を素直に受け止め、禍であろうと、福であろうと、すべて天の意志であると考える。このような、世の中の出来事と自然世界に発生した災難や禍福とを因果関係で結び付ける考え方は、儒家の「天人合一」の考え方でもある。また、下記のような諺もある。
稼爺音減嗤伉繁(天は意志のある人にそむかぬ)
爺涙蒸繁岻揃(天には人を絶する路がない)
「稼爺音減嗤伉繁」はあきらめず努力すれば、いい結果が得られるということであり、「爺涙蒸繁岻揃」は努力する人には天は必ず道を開いてくれるということ。(31)
天に大いなる意思と生命観を感じる。中国人は、自然と人の関連性や自然の法則をとらえ、生きることや不老不死をテーマにしている。インドの梵我一如の考えはあるが、解脱への追及ではなく、生への執着・生を追求することが、特徴にあると考える。
私は、鍼灸の勉強で中国の思想を学んだとき、感動したこと覚えている。自然の現象に合わせシンプルに語る中国思想は、とてもわかりやすい。しかし、シンプルだからこそ、奥が深く分かりにくいという特徴をもつと思う。

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