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水と生命

生命とは何か? 11 インドでの生命観

紀元前六世紀ないし五世紀頃、バラモン教の哲学書である『ウパニシャッド』に、大宇宙の原理としてのブラフマン=小宇宙としての原理としてのアートマン、梵我一如説が出現し、輪廻という考えも出現する。『ウパニシャッド』の三大哲学者のシャーンディリヤは、
再生説をとなえ、人間の再生を決定するのは、生前における「意図」であると、となえている。また、「ブラフマンは、良く知られるようにこの一切である」と語っている。心臓の内部にある人間のアートマンは、この一切をその中に含んでいる。(24)
人間は死後、循環的に生と死を繰り返すという思想が現れる。輪廻するのは人間の生前の行為、すなわち業の結果とみなされるようになる。解脱を得た者は輪廻の苦から免れ、死後はブラフマンの世界に導かれ、再び生を享けることはない。解脱を得るには、自我(アートマン)と宇宙的な我(ブラフマン)との合一が最終目標であるという考えがある。
湯田豊氏は、初期『ウパニシャッド』の中心的テーマは、アートマンとブラフマンの同一視=梵我一如であるという学界の定説に対し、下記のような否定的な考えをもつ。
初期の『ウパニシャッド』の最大の関心は、人間自身である…この一切、あるいは世界はアートマン、すなわち人間自身によって創造されるものであり、人間自身によって形成されるのである。外界も内界も、等しく人間自身によって作られ、人間自身をそれの本質としている。(25)
湯田豊氏は、ブラフマン=小宇宙としての原理としてのアートマン、梵我一如説ではなく、ブラフマンはこの一切であり、アートマンは自己であり自己自身の探求が『ウパニシャッド』には書かれていると主張する。

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