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水と生命

生命とは何か? 6

中期から後期のギリシア哲学

古代ギリシアの医者ヒポクラテス、医学の父( 紀元前460年頃~紀元前370年頃)は、エーゲ海 、イオニア 地方南端のコス島 に生まれ、医学を学びギリシア各地を遍歴したと言い伝えられるが、その生涯について詳しいことは分かっていない。ヒポクラテスの名を冠した『ヒポクラテス集典 』が今日まで伝わるが、その編纂はヒポクラテスの死後100年以上経ってからとされる。ヒポクラテスの最も重要な功績のひとつに、原始的な医学から迷信 や呪術 を切り離し、医学を経験科学 へと発展させたことが挙げられる。人間の身体の構成要素として四種類の体液を挙げ、四体液説を説いた。この体液のバランスによって健康状態などが決まるとする説。ヒポクラテスが著書『人間の自然性について』の中で人間は血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁からできていると述べている。
ソクラテス(紀元前469年 頃 – 紀元前399年 )は、アテナイ に生まれ、生涯のほとんどをアテナイに暮らした。彼はペロポネソス戦争 において、アテナイの植民地における反乱鎮圧としてのポテイダイア攻囲戦 など、重装歩兵 として従軍した。青年期には自然科学 に興味を持ち、晩年は倫理 や徳 を追求する哲学者としての生活に専念した。
プラトンの『ソクラテスの弁明 』においてソクラテスが語ったところによると、彼の弟子のカイレフォンが、デルポイ にあるアポロン の神託 所において、巫女 に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられたことにある。これを聞いて、自分が小事・大事ともに疎くて賢明ではない者であると自覚していたソクラテスは驚き、それが何を意味するのか自問した。さんざん悩んだ挙句、彼はその神託の反証を試みようと考えた。彼は世間で評判の賢者たちに会い、その人々が自分より賢明であることを明らかにして神託を反証するつもりであった。しかし、実際に賢者と世評のある政治家 や詩人 などに会って話してみると、彼らは自ら語っていることをよく理解しておらず、そのことを彼らに説明するはめになってしまった。それぞれの技術に熟練した職人達ですら、たしかにその技術については知者ではあるが、そのことを以って他の事柄についても識者であると思い込んでいた。こうした経験を経て、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」ことを指しているのだと理解した。(12)
古代ギリシアの伝統的な世界観・人間観では、「世界を司り、恒久的な寿命と超人的な能力を持つ」神々に対し、人間は「すぐに死に行くはかなく無知な存在」「神々には決してかなわない卑小な存在」と考えられていた。また、ソクラテスも影響を受けたデルポイのアポロン神託所、その入り口に「汝自身を知れ 」(分をわきまえろ、身の程を知れ)や「度を越すことなかれ」といった言葉が刻まれていることからもわかるように、古代ギリシア人にとっては、「節制 」(節度)がとても重要な徳目であった。ソクラテスは、基本的にはこれら古代ギリシアの伝統的な考え方に則り、それを継承した。
ソクラテスは、正義や徳や幸福の本質を確かめようとして、その探究に情熱をささげた。争いや悪の行為に導くのは、たんなる無知で、教育は人々に秩序と調和であることを教えねばならないとしている。そして、議論によって真実を確かめるということを達成しようと努力した。しかし、それは、快く思わないアテナイ人たちに告発され処刑される。死刑を命じられても、自身の知への愛(フィロソフィア)、「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、不正をおこなうよりも、死に殉ずる道を選んだ。

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