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水と生命生命とは何か? 2
第一章 『生命とは』
生命というものを、明確に定義することは難しい。自然哲学には自然哲学の生命観があり、宗教には宗教的な生命観があり、民族によっても違ってくるものだと考える。
日本語には、“生命”・“命”“いのち”と色々な表現がある。松長有慶氏は下記のように述べている。
「命」とは、現実世界の中で、生を享けて出現し、死して消滅する人間や動植物の命を五感を通じて、直接知覚することができる、自己の命を指す言葉とであるとともに、自己の周辺にいる人間や動植物などに存在する対象化された目に見える命と捉えている。平がなの「いのち」は、現実に知覚される命の背後、あるいは基底にひそむ根源的ないのちを意味することが多く、古くから芸術、哲学、宗教などが取り扱ってきた対象で、通常の感覚によって把握することは不可能であり、時間と空間を超越した存在であるため、それを対象化して捉えることは難しいが、我々の内面において、知覚したり芸術的に表現することは可能であるものと捉えている。「生命」と書いていのちと読ませるものは、表向きは自然科学や法律が取り扱う対象化された命であるが、それとともに目に見えぬ「いのち」がその裏面に潜んでいる。(1)
日本人には、とても繊細な感覚があると言われるが、これもそのひとつであると感じる。今回は生命ということばで、対象化された命と根源的ないのち、また宇宙生命も含めた大きな捉え方で、生命ということばを使って考察していく。
従来、生と死は自然の摂理とされ、神などの支配する分野で、人間が関与しえない神聖なる領域に属する事象とされていたが、人々は生に疑問を持ち探究してきた。西洋ギリシアでは哲学的・物質的に明らかにすることを願い、中国では不死を願い、インドでは輪廻から解脱し神と一体化するのを願い、日本人は自然にあることを願い、探究してきたのではないかと思う。
最近では、グローバル化が進み価値観の違いや思想の違いが少なくなりつつある。医療もグローバル化し、生とか死といった神聖領域にも、人間の操作が一部できるようになってきている。医療者としてそこを手掛かりとして、まず生命を考えていきたい。
深く生命について考える機会に、「脳死」問題があった。「脳死」問題から、生命倫理という学問が1978年以降アメリカを中心におこった。人間の生命に対する医療や生命科学のあり方とその価値観が、改めて人々に問い直されている。日本では、1980年代に、移植問題など生命について議論された。それまでの死の判定は「死の三徴候」①呼吸の停止(肺の機能の停止)②心臓の拍動の完全な停止(心臓の機能の停止)③瞳孔の散大(脳の機能の停止)であったが、「脳死」をもって死と判定し、臓器移植をするかという問いであった。
日本人の私自身としては、かなりの疑問が今でも残っている。脳死状態になっても心臓や各細胞たちは生きているからだ。脳とは、各種臓器の機能的な中枢だが、臓器や細胞は独自で生命維持していこうとする機能がある。脳死状態から生き返ったケースもあるように、脳死を人間の死にすることには、人間の生に誠実なのであろうかという疑問が残る。ただの、人間のエゴではないのだろうか。深い議論をされないまま法律化し、施行されているように思う。人間がどこまで生死に関与するかは、科学や医術が発展するにつれ、これからも必要な議論であり、個人個人が考えなければいけない問題だと考えている。
「脳死」問題を切っ掛けに、80年代アメリカを中心に、ディープエコロジーの思想が盛り上がり、日本でも生命主義(生命主義ということばは、近代文化研究の鈴木貞美氏が使いはじめたものだが、日本人には、宇宙や大自然の中に生きる人間をテーマにしたもの童話や詩にたくさんあり、人間のいのちを中心にすえ、生命観を大自然との関係で深めていこうとするもの)とでも呼ぶべき思想が展開を見せている。近代文明のなかで、本当の生命のすがたを見失っているからこそ、自然や生命をもう一度深く考えなおそうとする思想である。ディープエコロジーは、地球と私たちを連続的なものとして考え、自然は、征服すべき対象ではない。人間と自然とはそもそも一体であり、人間は自然のなかで、自然に支えられてはじめて生きていけるという世界観を再発見するべきだと訴えている。地球の危機を救うためには、まず私たち自身が変わらなければならない。「私が変わるとき、地球も変わる」という発想をもっている。
また、1968年オーストリアにおけるシンポジウムで物理学者フリッチョフ・カプラの『タオ自然学』などによって、生命を全体的な視野によって把握する必要性が強く主張された。これをニューエイジサイエンスといい、日本語で翻訳されていく中、ニュ―サイエンスと定着するようになった。
ニューサイエンスを簡単にまとめると、近代科学の機械論、還元論、主客二元論から、物事の関係性を重視した。ホリステックな世界観へとパラダイムシフトし、東洋の智恵に従って意識を改革し、地球と調和してエコロジカルな生を送ることで、新しい次元へと至ることができるというメッセージである。(2)
今回、水と生命とテーマに選んだのも、こういう時代の流れがあるからだと再確認できた。自分なりの考えを、水を通して明確にしたい気持ちが強くなった。ここでは、生命観の歴史・民族学的・生物的・宗教的生命観を通して、生命というものを考察していく。