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水と生命

生命とは何か? 1

『序論』

私には、「死とは何か」「死ぬとどうなるのか」「何故生きるのか」「生命とは何か」という疑問が、子どもの頃からある。自分の人生を振り返ると、それをテーマに生きてきたように思う。西洋医学・東洋医学を学び、人間の体や体を養う法則などを学び、よりよく生きていくことをテーマに仕事している。そういうことを考えて生きていると、自然と仏教に興味を持ち、「生きるとは何か」「悟りとはなにか」「自分とは何か」「何故、人間は生き死ぬのか」を仏教に求めていたように思う。神仏習合の考えのある真言密教に心惹かれ、今日、種智院大学に編入し仏教を学ぶ機会を得ている。本学で、仏教だけでなく日本の民族学、道教・儒教思想、インド思想などに触れることにより、「生命とは何か」を考える視点の一つに「水」があるのではないかという思いに至った。

水は生命を生み育むが、一方では生命を奪う。これは文化が異なっていても、世界中の人々の共通認識だと思う。人間の身体は、ほぼ水分であり年齢を重ねるごとに水分は低下していく。まさに水は、私たち身体の源の一つであり、生命と深く関わっている。水はとても一般的で身近にありすぎ、特に日本人は、水というものを深く考える機会が少ないように思う。

私にとっての水とは、雨・海・川・滝など心と身体を落ち着かせてくれる清らかなものであるというのが、水に対する大きな感覚だ。ただそれだけでなく、水という自然が物を壊し、命を奪っていくものだとも自覚している。福岡で育った私は、夏は水不足に悩まされ、自由に水を使えない大変さを体験しており、台風や大雨により自分の肉体が傷つき、目の前で水の流れに足を奪われ、いとも簡単に生命を奪っていこうとする水を知っている。

しかし、私にとっての水は、静寂や温かさや光を見る大好きな場所としての認識が強い。水の中から外界を見ると美しく、そこに光がくわわると、キラキラと揺らめき、日常にはない世界を見ることができる身近で不思議なものであった。水は、身体の汚れを落とすだけなく、心身のケガレを落とし、生きる勇気をくれるというのが私の水の感覚である。

天文学的に考えるとこの地球が奇跡的な環境にあり、水というものが、この地球という環境なくしては存在できないこと、水という液体で存在できるからこそ、有機体の生命がそこから生まれる。水が循環することや水の特徴があるからこそ、私たち人間や動植物は生まれる。今の環境が少しでも違っていれば、私たちはこの身体で存在することはありえないのである。地球と水と生命体の微妙なバランスにより、私たちは生かされていることが、はっきりとわかる。水は生命体の根源と言われるのも納得がゆく。

水を考えるということは、生命を考えることになる。私の生涯の思い、古代からの人類の探求の一つである生命について、水を切っ掛けに考えていきたい。まず、生命を今までの歴史をふり返りながら考察し、西洋・インド・中国・日本・仏教という角度から生命観を捉えていく。特に、現代の生命という価値観を生んでいる西洋の生命観を、古代ギリシアから現代科学まで捉えなおしていく。インド・中国に関しては簡単に述べ、日本人の生命観を深く追求していきたい。そして水を天文学・科学的・生物学的・物理学的・民俗学に捉え、密教で説く水と合わせて考えていく。そして、人と水の関わりをまとめ、今後自分がどのように生きていくかの問いに、光明をみいだせればと思う。自分の生き方の探究の一考察になればと考える。

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