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水と生命生命とは何か? 51 日本人と水
日本は島国であり、四方八方海で囲まれており、水の豊かな国である。そういった環境からか、水に関する神話などが各地でみられ、信仰されている。『古事記』でも禊をとおして、日本の国生みが創造されている。日本の生命観でも述べたが、日本にはあまり文献がない。日本の水に対する明確なものがないが、島国であり海洋民であり、農耕民族になっていた歴史からみて、日本人が水を神として、海神として崇められていたことは検討がつく。古来から、雨が大地を潤す、豊穰のシンボルされていたこと。蛇が水神として信仰されていたことも理解しやすい。しかし、日本独自のものは何であろうか。アマテラス神話に見られるような、太陽は海辺に生まれ、海辺に祀られる。これは、日本の風土から生まれるものではないかとか考えられる。古代日本の火の起源神話の一つの、海から火が発生したという観念は、海から太陽が昇る様子をみて、生まれたとも考えられる。日本において、火と水は対立するものではなく、隠れたつながりがあると考えていたと考察できる。日本には、もう一つ変若水という考えと習俗がる。水と月の信仰・若水や月の変若水信仰は、松前健氏は、下記のように述べている。
若水に関して、日本・沖縄の以外にそれほどみられない。
「月と不死」の伝承を持つ中国でも、メラネシア、オーストラリアで「若水」の観想は見られない。南アフリカからオセアニアにかけて分布する。…(58)月と不死と水について『万葉集』に「月の若水」に関する信仰が、月神ツクヨミに関連して歌われている。
天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも
月よみの 持てる変若水 い取り来て
君にまつりて 変若えしむもの (巻第一三、三二四五番)…(59)
宮古島では、月と太陽とが、人間に長寿を与えようとして、節祭の新夜に、アカリヤザガマという人物を使いにやり、一つは変若水、もう一つは死水を入れた桶を、天秤にかついで下界に降らせた。月と太陽とは、「人間には変若水を浴びせて長寿をもたせ、蛇には死水を浴びせよ」と命じた。しかし、アカリヤザガマは、途中で桶を下して、小用を足しているとき、蛇が現われ、変若水を浴びてしまった。それ以来、蛇は脱皮して生まれ変り、長生きするが、人間にはしかたなく死水を浴びせたため、死ぬことになる。その失錯の罰として、この男は永遠に桶をかついで月の中に立たせられた。それでも、神は多少の若返りはさせてやろうと、毎年、節の祭の前の宵に、大空から若水を送ることになった。それぞれの祭の黎明には、井戸から若水を汲み、家々の全員が浴びるという習俗がはじまったという…。(60)
折口信夫氏によれば、
沖縄の「節の若水」すなわち変若水は、ニライカナイから通ってくるものと信じられ、人々がこれを浴びて若返りしたが、日本の変若水も同様に常世郷から通ってくると信じられた。初春や臨時の慶弔の直前に、海岸、川、井、しかも特定の井に湧く水を用い、沐浴すると、人々はすべて始めに戻り、生まれ変るという。それは、常世の国から地下を通じて、常世の水が湧いてくるからであるという。(61)
日本には強くアニミズムがあり、あの世この世の堺がはっきりない。水はそれをつなぐものでもあり、すべてを始めに戻したり、生まれ変わる再生水としている様子がみてとれる。沐浴や禊といったものも、汚れや穢れを洗い落すだけではな
「記紀」でも国が生まれるという、何そこから生まれるという次がある。
日本人は、この世の法則、循環や繋がりというものを大切に、流れというものを見ているように思う。終わりではなく、次へ次へとつながるこの法則を日常や祭などに取り入れている。島国である日本は、水とともに過ごしており、水の不思議な効力と共に生活していきたい様子が今も残っていると感じる。そこに、生命の回復や再生という、人々の願いが素朴にあるように感じられる。