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近代鍼術中興の祖、杉山和一先生

通勤途中に、
江島杉山神社があります。

近代鍼術中興の祖とされる杉山和一(杉山検校)の屋敷跡で、
世界最初の視覚障害者教育施設とされる
「杉山流鍼治導引稽古所」があった場所です。

杉山和一は慶長15年(1615)、
安濃津(現在の津市)に生まれたとされます(諸説あるようです)。
幼い頃に伝染病で失明しました。
16歳の時、江戸の盲人鍼医・山瀬琢一に入門しますが、
記憶力が悪く、技術も向上しないため、22歳で破門されます。

そこで、江ノ島弁財天に詣で、
岩屋に籠もって二度の断食修行を行いました。
その帰り、石に躓いて倒れたときに、何かが手に刺さりました。
何かと思うと、丸くなって管状になった枯れ葉の中に入った
松葉でした(竹の筒の中だったとも)。
そこから鍼の施術法の一つである
管鍼法(かんしんほう)を思いついたと言われます。

その後、京都で入江豊明に師事し、
江戸に戻って開業すると、鍼の名人として評判を呼びました。
寛文10年(1670)検校になり、天明2年(1682)には、
世界で初めての視覚障害者教育施設とされる
「杉山流鍼治導引稽古所」を糀町に開いています
(後、本所一ツ目に移転)。

これは、1784年にフランスで
ヴァランタン・アユイが開設した盲学校より約100年早く、
これによって視覚障害者が
鍼・あんまによって生計を立てる道が開かれました。
さらに五代将軍・徳川綱吉の持病を治療したことから信任を得、
幕府に召し抱えられて、屋敷を拝領し、
さらに盲人の全国組織である当道座の総検校に任じられます。

深く江ノ島の弁財天を信仰し、
江ノ島の下ノ宮(現・辺津宮)の社殿や三重塔を再建しています。
元禄6年(1693)本所一ツ目に3千坪あまりの土地を拝領しますが、
これには逸話があります。

和一の献身的な治療に感銘を受けた綱吉が、
ある時「何か欲しいものはないか」と尋ねたところ、
和一は「ただ一つ目が欲しゅうございます」と答えました。
そこで、綱吉は本所一ッ目と呼ばれていた
現社地に土地を与えることにしたそうです。
そして、和一が年老いてなお、
江ノ島の弁財天へ月参りを欠かさないことを案じ、
屋敷内に江ノ島弁財天を勧請し、
江ノ島への参拝はほどほどにするようにと命じました。
これが江島杉山神社の始まりで、
かつては本所一ッ目の弁天様として信仰を集めました。

杉山和一先生が、管鍼法(かんしんほう)を思いついたおかげで、
日本の鍼は痛みをほとんど感じません。
また、技術教育も素晴らしく書物を後進のために残されています。

杉山和一先生ありがとうございます!

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