インフォメーション

水と生命

生命とは何か? 30 光の研究

光の研究は、17世紀に始り、イギリスの科学者ニュートン(1643~1727)も光の研究をし、光をプリズムに通すと、無色透明に見えていた光が七色の光に分かれることを発見し、光は様々な色を持つ小さい粒が集まったものだと考えた。これを『光の粒子説』という。ニュートンとほぼ同時代のオランダの物理学者ホイヘンス(1629~1695)は、二つの細い光線をぶつけても、光がお互いを通り抜けるように進んでいくのは、光が波であるからだと考え『光の波動説』を唱えた。
当初は、偉大なニュートンの説が有力であったが、19世紀初めにイギリスの物理学者ヤング(1773~1829)が光の干渉現象を発見、光が波であること決定的証拠を発見する。1864年、イギリスの物理学者マクスウェル(1831~1879)が、電磁波の空間を伝わる速度が光の速度(秒速約30万キロメートル)と全く等しくなることから、光を電磁波の一種だと説明した。1888年ドイツの物理学者ヘルツが電気と磁気の波が空間を伝わることを実験で確認し、電磁波の存在の証明とともに、光がまぎれもなく波であることが確認された。
20世紀にアインシュタイン(1879~1955)が紫外線や青い光など波長の短い電磁波を金属の表面に当てると、金属の表面から電子が飛び出してくる光電効果という現象を説明する。1905年プランクのエネルギー量子仮説のアイデアから『光量子仮説』を発表し、光は「光量子(現在では光子)」という粒の集まりだと考え直した。
また、アインシュタインの同時代のフランスの物理学者ド・ブロイ(1892~1974)は、『電子を波として考える』を1924年に発表した。アインシュタインが『光量子仮説』をたて、光は粒と考えそれを利用し、波としての光に、粒としての性質をみいだせることを唱えた。λ(ラムダである波)=h(プランク定数)÷P(光の運動量=質量×速度)
電子に限らず、すべての物質はこの式で求められる波長を持つ波であると考えて、この波を物質波と名付けた。現在では、光は粒と波の二つの性質をもつことが明らかになる。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ページトップへ